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故M子さん(95歳)の場合

子や孫、ひ孫らの感謝の声に包まれながら 

賛美歌の流れる中での旅立ち

 

2011年初秋のある日。

ホームクリニック暖にお越しいただいたのは、

数ヶ月前にお見送りをしたM子さんのご家族。

長男のA男さん(出雲市外在住:62歳)、

長女のB子さん(出雲市在住:60歳)、

次男の嫁C子さん(出雲市在住:55歳)の3名です。

出迎えた奥野誠院長、野津まり子看護師と、

ご持参された生前の写真を見ながら思い出話で談笑した後、

当院と出会う以前の状況からお話くださいました。

 

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【M子さんの状況】

近年までA男さんご夫婦と同居。

ご高齢となり、少なからず認知症も認められるようになる。

共働きのA男さんご夫婦が家にいない時間帯の心配が大きくなると、

仕事を辞めたB子さんが自宅と実家を行き来。

A男さんたちと連携しながらデイサービスも利用する生活を1年間続け、

M子さんは90歳の時、出雲市のB子さん宅へ。

デイサービス利用を経て、丸2年間の施設入所。

2011年3月初め、脳梗塞を発症して総合病院へ入院する。

2011年4月より、次男D男さん宅にて在宅医療に入る。

同年6月26日昇天。

 

 

入院から在宅への決断まで

 

A男:

入院した当初は、それまで入所していた施設に
いつでも戻れる状態にしておきたいというのが私たちの思いでした。

 

B子:

母は人間としても非常に高いところを持った意欲的な人でしたので、
80歳代で大腿骨骨折で入院手術したときも、
2度の脳梗塞でもリハビリに励んで退院しましたから、また蘇ると思っていたんです(笑)。
当時も寝たきりではなかったし、まだまだ看取りとは思いませんでしたからね。

 

A男:

でも、病状がどんどん進む経過を見ると以前のようには戻らず…。
鼻腔栄養をすることになった状況で施設に相談をしたら、
鼻腔栄養の方の受け入れは厳しいと。

一方では、病院からも退院後のことを考えておられますかと尋ねられ、
私の自宅近辺を何カ所か当たってはみたんですが、
仮に胃瘻をしたとしても空きが出るまで待ってくださいと…。

そんなとき、弟のところで引き受けると言ってくれました。

弟は薬剤師、C子さんは元看護師ですからまったくの素人ではなかったこともあって、
非常に恵まれた環境ではあったと思います。

 

C子:

私たちはこれまでもみんなチームワークもフットワークも良かったんです。
お互いにそんなに多くは語らなくても分かっていたというか…。

私もいろんな経験をしてきましたから、
これだったら連れて帰った方が母も少しでも楽になるかなと、
主人に、もう連れて帰ろう、って。

 

A男:

兄弟3人で相談してはいないんですけど、有り難かったですね。

それで、総合病院では3月終わりに退院前カンファレンスを開いて、
どういう形で在宅のほうへスムーズに受け入れていくかという道筋を、
私たち家族も含めて話し合ってくださり、
ホームクリニック暖の奥野先生と出会うことができました。

また、出雲市民になるとケアの恩恵がより受けられると伺いましたので、
在宅と同時に母は出雲市民になりました。

 

註:【鼻腔(びくう)栄養】
食べ物の飲み込みが難しくなったときに、
鼻の穴から胃までチューブを入れて、
そこから栄養剤を注入する栄養方法のこと。
経鼻(けいび)栄養ということもある。

 

註:【胃瘻(いろう)】
鼻腔栄養と同じように、食べ物の飲み込みが難しくなった場合に、
腹壁(お腹の表面)から胃に直接通じる穴(これを胃瘻という)をつくり、
そこからチューブを通して栄養剤を注入する栄養方法。

 

註:【退院前カンファレンス】
自宅への退院を前に、患者やその家族と、
病院の医師や看護師らと、退院後に診療をする医師、看護師、
ヘルパー、ケアマネらを交えて行われる話し合いのこと。
現在の病状や退院に向けての課題などが話し合われる。

 

 

家に連れて帰りたい

 

奥野:

皆さんに最初にお会いしたのはまだ入院中のカンファレンスの時で、
そのあとに肺炎を起こされました。

多くの方は肺炎が治ってから連れて帰りたいと言われます。

でも、治っていないけれど家へ連れて帰られたというのは
私も経験したことがなくてビックリしたんですが、
どういうお気持ちだったんでしょうか。

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B子:

それはですね、先生。
あの頃はもう最期だと思って、最期であれば少しでも早く連れて帰りたいと思ったんです。

ちょうどその頃に石飛幸三先生の著書『平穏死のすすめ』に出会い、
回し読みをして皆で感動しましてね。

母の状態はあの本に書いてある通りだったから、
いつまでもつかなあという気持ちはありながら、
早く連れて帰らないと病院で亡くなるかも知れないと思って。

 

C子:

肺炎を起こしましたから、もうこれは致命傷かな、と。

 

A男:

まあその時は、そんなにはもたないだろうというこっちの勝手な読みがあって、
弟のところで1週間とか2週間ほどお世話になろうと…。ところが、約3ヶ月間も。

 

B子:

先生が最初におっしゃってた通りでしたね。

 

奥野:
だいぶ幅を持たせて、1ヶ月から3ヶ月くらいとお伝えしたんですよね。

 

参考:『平穏死のすすめ』石飛幸三著/講談社(2010年2月8日発行)

 

 

在宅看護スタート

 

奥野:
私が初めて往診に行ったとき、経鼻を抜いた方がいいんじゃないかと、
皆さんと1時間くらい相談したと思うんですが、
皆さんはその時どういう受け止めだったんでしょうか。

 

C子:

私はその通りだと思いましたね。

 

B子:

私も経鼻はさせたくないと思ってましたし、
先生は経鼻は抜くけれど皮下点滴のことをご提案くださいましたでしょ。

 

A男:
私も抵抗感はなかったですよ。
そのときの母にとって一番いい終末の迎え方へ進むんだなあという受け止めでしたね。

 

C子:

先生は選択の余地を残した提案の仕方をしてくださいましたし、
気が変わればいつでも対応すると言ってもらったことも大きかったです。

でも先生、治ったんですよね、肺炎が。

 

奥野:
私は初めて診察に来た医者がそういうことを言ったもんだから、
ビックリされたんじゃないかと心の中で思ってはいたんです。

 

A男:

先生は、私たちがどういう在宅や看取りを希望しているのかという
家族の思いにも理解を示されました。

たまたま私たちはその時期に『平穏死のすすめ』に出会っていて、
命に対する尊厳という思いと奥野先生とがぴたっと一致したんです。

だから、できる限り自然に平穏に終末が迎えられるように一緒にやっていきましょう、と。

 

C子:

帰ってすぐ鼻腔栄養をはずしたんですよね。

 

A男:

入院中は仕方なかったけど、経鼻を取ってくれという仕草をする母が痛ましくてね。

 

B子:

あれがないだけでもずいぶん楽になったでしょうね。

 

註:【皮下点滴】
一般的な静脈内への点滴ではなく、皮下組織に点滴をして、水分や栄養を補う方法。点滴が血管から漏れたり、閉塞したりすることがなく、管理がしやすい利点がある。

 

 

心を尽くす徹底したケア

 

奥野:
石飛先生の本を読まれていたということと、
入院されて以降の経過の中で、
だんだんとこれは寿命なんだなあという皆さんの心境の変化とが、
ちょうどタイミングがあったということなんですね。

 

B子:

そうですね。寿命であれば、医療はいらないと思いました。

 

C子:

あとはケアですよね。

 

A男:

でもそれとても当初は、4月いっぱいくらいに思っていたんですけど、
母の命がうまくそれとマッチしたというか、
今から思えば非常にスムーズに終末へと向かっていったんじゃないかと思います。

 

それと、看護が徹底的で、もったいないような看護でした。

 

ホームドクターの奥野先生にケアマネージャーさん、
ホームヘルパーさんが2人から3人入れ替わり立ち替わり。

 

しかもC子さんが元看護師ですので、
夜昼なく母に付ききり状態でいてくれて、
普通の在宅と比べてはるかに好条件だったと思います。

 

B子:

ホームクリニック暖は弟の家と近いという安心感があって、
先生がここに常にいらっしゃらなくても、24時間いつでもという、
普通のかかりつけの先生とはまた違う、信頼感や安心感がありましたね。

 

奥野:

それは私もすごく大事だと思っていて、
だからあまり遠出のエリアは行かないようにしているんです。

 

C子:

ヘルパーさんに任せて外出することもありましたけど、
ヘルパーさん自身は当初ちょっと心配なところもあったらしくて…。

でも、同じ人がローテーションで来てくださっていたので最後は慣れて家族の一員みたいな感じになりました。

 

A男:

3、4時間おきに体位を変えてくださるし。

 

C子:

毎日の手浴、足浴、陰部洗浄。週に1回の入浴は湯船にザブッと浸かって。
褥瘡もなく、本当にきれいだった。エアーマットだったしね。

 

奥野:

いつ行っても本当にきれいで、不快な臭いも全然なくて、
いつも穏やかに横になっていらっしゃいました。

私は顔を見に行くぐらい、点滴を1週間分持って行くくらいでしたね。

 

A男:

母はいつも穏やかに安らかに寝ていましたね。

母が通っていたキリスト教会の牧師さんも何度か来られてえらく感動されましてね。

「大変失礼だけれど、教会員の皆さんにはお見舞いじゃなくて一度見学に行くようにと言いました」と私に言われて(笑)。

 

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B子:

いつも賛美歌をかけて聞かせておりましたから、何とも言えない雰囲気でしたね。

 

註:【エアーマット】

ベッドの上に置く、空気入りのマットのことで、褥瘡を予防したり、悪化を防ぐために使われる。

 

註:【褥瘡(じょくそう)】

いわゆる床ずれのこと。自力での寝返りができなくなると、
骨の出っ張った部分と床(マット)とで皮膚や皮下組織の血流が途絶え、
組織が死んでしまうことで生じる傷。

 

 

 

賛美歌の中での旅立ち

 

奥野:
私が一番印象に残っているのは息を引き取られるまさにそのときの場面です。

M子さんの周りに皆さんが集まっておられ、しかも耳元で賛美歌を流された。

これは私も初体験でした。

 

普段から聞いておられたのは知っていたんですけど、
旅立たれるときに賛美歌を流しながら「ありがとう」「頑張ったなあ」などと口々に言葉をかけられて…。

 

死がネガティブなイメージではなくて、
ああ本当に旅立って行かれるんだということを象徴するような場面でした。

 

私は医者を10年、往診を始めて5年になりますけれど初めてのことで、
ああ良かったなあ、こういう見送り方もあるんだと感じました。

 

野津:

私も賛美歌はとても印象的でした。

それと、最期のエンジェルケアの時に、
お孫さんたちがすごくきれいにお化粧やマニキュアまでもされたのが心に残っていて…。

洋服も本当にM子さんらしい素敵な洋服でしたよね。

 

A男:

来られた教会の人がね、爪まですごくきれいに化粧してあって、
それを見て、大事にされていたんだなあと感動してくださいました。

 

奥野:

賛美歌を流されるなど、そういうお考えが前からあったんですか。

 

A男:

予定をしていたのではなくて、その日もいつものように聞かせていて、
ちょうど先生が最期の看取りをしてくださる時に、
孫やひ孫まで十数人集まっていましたから、
とっさにみんなに聞こえるように流したんだと思います。

 

B子:

さきほど先生が言われたように、私も死がネガティブな感じじゃなくて。

母はクリスチャンでしたので教会で見送りしたんですけれど、
主に導かれて母が望んで天国へ行ったんだと思うと、
母が亡くなったことは悲しいけれど、本当に安楽な最期でしたから、
祝福と感謝の気持ちが強かったですね。

それに、退院してから状態が落ち着きましたので、
みんながベッドのところで、言葉や心の中でいっぱい母と会話をしました。

私たちには充分に見送りする時間があったんです。

だから、悲しみより安堵と感謝の気持ちが勝ってます。

 

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A男:

ああ、そうだよね。

 

C子:

主人がね、母が亡くなって何日か経った後に、
「ここにおったことも、おらんようになったことも信じられん」(笑)って言ったんですよ。

 

日常の一部で特別なことではなかったですから、
主人もいい送りをしたと思っているのかなと。

 

A男:

私たちは本当に良い出会いをさしていただいたなと思っています。

奥野先生が穏やかに接してくださるのが嬉しかったですし、本当に感謝です。

 

 

寄り添う“暖”

 

奥野:
私に聞いてみたいこと、改善点や要望などがあると嬉しいんですが。

 

A男:
もめたことも不満も悔いもなくて、良かったしかない(笑)。

 

C子:

しいていえば、最後のほうは置いておく点滴が多かったかな(笑)。

最後は1日1本も入らなくなってね。ま、そのぐらいですかね(笑)。

 

B子:

先生、母のような状態で自宅に帰るのは少ないんですか。

 

奥野:

結構難しいと思います。我々にとっても老衰かどうかという判断が…

 

B子:

実は私たちも、今この治療を中断して良いだろうかという迷いはありました。
最後は吹っ切れましたけどね。

 

奥野:

そこのところですね。誰もが吹っ切れるわけではないですし、
簡単な決断じゃないということです。

 

B子:

でもね、先生。母は芯のぶれない生き方をしてきた意志の強いはっきりした人でしたから、
これだったら母が望んでいるだろう、

これは嫌がるだろうというのがいろんな場面で何となく分かるんですね。

 

A男&C子:

そうそう。

 

奥野:

連れて帰ろうというのはすごく勇気のいることでしたから、
その思い切りがつけられたのは、M子さんのお人柄にもよるのでしょうね。

 

A男:

今振り返ると、終わってみたらこうだったというところです。

思いはあっても筋書きは作れませんのでね。

先生に寄り添ってもらって、本当に安心感をいただきました。

 

C子:

在宅で来てもらうというのは、
次の患者さんの心配をせずに一対一でいろいろと話ができましたからね。

 

B子:

まず一番、という存在でしたね。

 

奥野:

私からすると、皆さんと同じチームに私も入れてもらって、
最期のおよそ3ヶ月間、お別れの時間を一緒に過ごさせてもらったという感覚です。

 

 

おわりに〜同じような状況のご家族様へ

 

C子:

今の時代は、一人で悩んで頑張らなくてもいい状況がどんどん整いつつありますから、
まず、なにがしかの関係の方に聞いてみると良いと思います。

そうすると、その道のエキスパートがいっぱいおられるので、
看たいけれども看られないという人たちにも何か方法があって、
そういう力を借りればいいと思います。

また、鼻腔とか胃瘻をしなくていい方法があることも知ってもらいたいですよね。

 

B子:
やっぱり一人ではいろんな面で無理です。

たまたま母の場合には私たちが近くにおりましたので、
そういう意味では恵まれていたと思います。

 

C子:

それと、私たちは退院前カンファレンスをしてもらってとても良かったですから、
入院中から退院に向けての退院指導など、病院側から関係機関への連携を
さらに充実させてもらいたいなと思います。

 

A男:

私たちはそれぞれの親を何人か送っていますけれど、
母のような終末期医療や送り方は初体験なので、母は幸せだったなあと思っています。

本当に「あたたかい“暖”」さんのお陰です。有難うございました。

 

奥野:

わざわざホームクリニック暖へお揃いで足をお運びいただき、
長時間にわたりお話くださいまして本当に有難うございました。